沖縄県学生寮 南燈寮

沿革

2次大戦終戦直後の極端な住宅難のため、東京およびその周辺にある大学に在学する沖縄県出身の学生は、下宿などの確保にはなはだ困難を来たし、それは、学業に支障をきたす状況であった。
こで、当時東京に在って、沖縄県出身学生の援護活動を行っていた財団法人沖縄県学徒援護会は、沖縄県事務所及び財団法人沖縄財団の協力を得て、昭和22年5月に、東京都狛江市岩戸1390番地に在った、株式会社昭南製作所の工員寮を同社より購入し、東京及びその周辺の大学に在学する沖縄県出身学生の寮に充て南燈寮と命名した。土地は借地であった。
燈寮は、その所有権は日本政府総理府に在り、財団法人沖縄県学徒援護会が総理府の委託を受けて管理運営に当たった。
和26年ごろから入寮生により自主管理の要求が強くなり、やがて、財団法人沖縄学徒援護会の管理運営は不如意となり、同援護会による管理運営は形だけで南燈寮は純自治寮となり、建物は荒廃し、学生は思想的に偏向しているとの世評があり、財政的にもしばしば経営できない状態になったこともあった。
和31年5月、荒廃した南燈寮の健全な管理運営を目指して、財団法人沖縄財団に管理運営を移し、建物の大修理を行い、同財団の理事長比嘉良篤氏が学生と寝食を共にしながら管理運営に当たるとともに、寮生の生活指導にも当たったので、やがて寮の運営も正常化した。
和47年5月祖国復帰に伴い、特殊法人琉球育英会が解散し、それに代わって、財団法人沖縄県育英会が誕生すると、管理運営は同財団に移った。同時に南燈寮は公有財産として日本政府から沖縄県に承継され、沖縄県はこれを無償で財団法人沖縄県育英会に貸付けた。
和57年5月に、財団法人沖縄県育英会が名称を改めて、財団法人沖縄県人材育成財団が誕生すると、その管理運営は同財団に移り、同時に沖縄県は南燈寮を財団法人沖縄県人材育成財団に無償で貸付けた。
和59年6月に、沖縄県は借地していた南燈寮の敷地を購入し、それは、財団法人沖縄県人材育成財団に無償で貸付けた。
和62年2月に、建物の老朽化がひどくなったので鉄筋コンクリート3階建てに改築された。
成12年4月に、財団法人沖縄県人材育成財団は、財団法人沖縄県国際交流財団と合併して、「財団法人沖縄県国際交流・人材育成財団」に改称し、本寮の管理を引き続き行い、現在に至る。


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